秋田県は癌死亡率が高く私の親しい友人も20年以上前に癌のため亡くなりました。その当時から秋田は癌死亡率がワースト1位。
今もなお、その悪いレッテルが貼られたままの現状です。秋田に住んでいる皆さんは不安だと思います。そんな皆さんの為に少しだけでもお力になれたら…と思い投稿しました。
実はこの度、私の母親が癌に罹患してしまい町のかかりつけの医院から、と或る総合病院に紹介され入院治療をする事になりました。その際、担当医に対し私たち家族は母が心療的に気弱であり、まだ本人には癌だとは伝えてほしくない、段階的に伝えたいと念を押して話していましたがそこの主治医は、本人に対して「あなたは癌です。100%助かりません」「手術はしますが癌に侵された患部は摂ることはできないのでこのまま残します。」と全て伝えられ知られてしまい、母はショックで気絶寸前であった。その医師は「今の時代は隠さず正直に打ち明けるべきだ」と言い切る。その考え方は理解できない訳ではないが、こちら側の意見を無視して本人に死の宣告をしてしまうという考え方に納得いきませんでした。ですが一刻も早く治療してやりたかった。しかし入院中の約1ヶ月を超える間はその手術の準備期間として検査にかかりきりでした。内視鏡では患部の皮膚などを切り取ることが可能な装置が取り付けられていますが、癌細胞を取り切れなかったからと検査のやり直しを数週間にかけて複数回、繰り返されました。更には痛みが続いているのにも拘らずお盆期間だからという理由で一時退院させられました。毎日、母は激痛と不安でいっぱいだったと思います。それに痛み止めの点滴でもいいから引き続き入院させて欲しかった…。
日に日に母の痛みに耐える姿と悔しさで不信感が募りました。それは、これまでの治療や看護、言動など、ここの病院の行うことが「雑」に感じていたのもその理由にありました。
病院を変えようか…それともこのまま耐えてこの病院に…?
毎日、母と添い寝する私たちも朝方まで満足に眠れもせず生きた心地がしなかった。まさに蛇の筵の中で私たちは必死でした。
そして遂には辛さに耐えられず、「秋田赤十字病院」に病院を変える決心をしました。そうです、これが私たちのターニングポイント、この判断が功を奏したのです。
事前にホームページや検索サイトなどで調べ病院のしくみや先生たちの情報を調べていました。担当の課のセンター長さんとその方を囲む医師の方々、人柄が滲み出ていました。顔写真を掲げ紹介するくらいだから此処は間違いないだろう…半ばそう信じるしかありませんでしたが今回、思い切って転院して、やはり良かったと思いました。
有難い事に診断内容が把握されると、こちらのセンター長様の速やかな対応と聡明なご指示により早々に入院手続きがなされ速やかに治療、所要の検査が執り行われ、手術までなんと10日もかかりませんでした。
内科の先生、外科の先生、麻酔科の先生、看護師の方々に細かな配慮と温かいお言葉を頂きその都度、涙と共にこれまで他の病院から受けた怒りやら不信感など悪いものが洗い落とされる様でした。大袈裟に思われるかもしれませんが、まさにナイチンゲールの如くこちらの方達はまるで天使のようでした。このような病院が秋田県に存在していたのか…日本中にもそんなに多くないだろう…と思ったくらい素晴らしい病院がこの秋田に存在していました。
そして、その甲斐もあって
母は手術に適応する体力と気力を回復し、前者の病院では残すと言われていた患部をか細い外科の女医の先生(偏見失礼)ですが神の手のようなメス捌きで取り切って頂きました。
手術は成功。
こちらのセンター長様以下の優秀な先生たちが集まったチームが一丸となって1つの目標に対してその優秀な先生と患者側が信頼関係を持って臨めば、このようにあっという間に達成できるものなんだな…
今までのは何だったのか…。
とも思いましたが、こうも考え直しました。この様な素晴らしい病院に巡り会える為の試練だったのでは…と。まるで良きドラマを観るようで、感銘を受けた次第です。
この方々が存在していなかったら、今ごろ母はあの世に行ってしまったのではないか…と顧みると恐ろしくなります。
現在は秋田に2人しか居ないという抗がん剤エキスパートの先生のご指示のもと、定期的な抗がん剤治療を行なっています。
「来て安心」
「受けて満足」
「確かな信頼」
こちらの病院の理念に嘘はありませんでした。ここに感謝と共に敬意を表し、私たちの様に苦しんでいる方々にお伝えできればと思慮します。
秋田赤十字病院の関連口コミ
子授かりネットワークの口コミ
comment口コミを投稿-
口コミはまだありません。
Googleの口コミ
-
阿部奈津子さん 2024.09.24 父が肺炎で救急外来を受診、そのまま入院することになった。医師から入院にあたっての説明や質問等あり、最後に「退院する場合、お父さんは認知症だから自宅や施設では手に負えないだろうから、精神科病院に入ることをお勧めします」と冷たく、心無い言葉を浴びせられた。
おまけに、医師の話をなかなか理解できない母に「お母さんはまともじゃない」と言い放った。医者なら何を言っても良いと思われてるんでしょうか?呼吸器内科の◯◯先生。もう少し言葉選びができないものかと思った。父は順調に回復し、当初は2週間程で退院できる予定と担当看護師に聞いたが、入院後2週間経った頃から父は弱っていった。主治医から「経口摂取を2回試したんですが、1回目は肺炎をぶり返して2回目は口から泡吹いちゃって、とてもじゃないけどもう経口摂取は無理と判断しました」と言われた。一昨日にはゼリーを食べたと聞いたのに何故、、?肺炎をぶり返したのにもう1回試した⁉︎疑問がいっぱいだった。このままこの病院にいたらまた何されるかわからないという恐怖も感じた。結果、父の希望を優先して自宅で看取る覚悟で退院を希望した。その際「お父さんの年齢だと1週間で干からびて小さくなって最期を迎える」と主治医からの言葉があったが父は干からびてもないし1週間を超えて生きてくれた。父は強かった!父を誇りに思う。父は病院でトラウマを抱えるほど怖い思いをしたことを退院後に知った。うなされるように「あそこは怖かった!」「これ飲んだら死んでしまう」と口にしていた。秋田赤十字病院には不信感しかないし、患者に寄り添えない医師がいる病院には二度と大切な人を入院させないと誓った。 -
阿部奈津子さん 2024.09.10 父が肺炎で救急外来を受診、そのまま入院することになった。医師から入院にあたっての説明や質問等あり、最後に「退院する場合、お父さんは認知症だから自宅や施設では手に負えないだろうから、精神科病院に入ることをお勧めします」と冷たく、心無い言葉を浴びせられた。
おまけに、医師の話をなかなか理解できない母に「お母さんはまともじゃない」と言い放った。医者なら何を言っても良いと思われてるんでしょうか?呼吸器内科の五島先生。もう少し言葉選びができないものかと思った。父は順調に回復し、当初は2週間程で退院できる予定と担当看護師に聞いたが、入院後2週間経った頃から父は弱っていった。主治医から「経口摂取を2回試したんですが、1回目は肺炎をぶり返して2回目は口から泡吹いちゃって、とてもじゃないけどもう経口摂取は無理と判断しました」と言われた。一昨日にはゼリーを食べたと聞いたのに何故、、?肺炎をぶり返したのにもう1回試した⁉︎疑問がいっぱいだった。このままこの病院にいたらまた何されるかわからないという恐怖も感じた。結果、父の希望を優先して自宅で看取る覚悟で退院を希望した。その際「お父さんの年齢だと1週間で干からびて小さくなって最期を迎える」と主治医からの言葉があったが父は干からびてもないし1週間を超えて生きてくれた。父は強かった!父を誇りに思う。父は病院でトラウマを抱えるほど怖い思いをしたことを退院後に知った。うなされるように「あそこは怖かった!」「これ飲んだら死んでしまう」と口にしていた。秋田赤十字病院には不信感しかないし、患者に寄り添えない医師がいる病院には二度と大切な人を入院させないと誓った。