主祭神は宇迦之御魂など。創建年は不詳ですが、垂仁天皇の頃に創建されたとされ、聖徳太子は蘇我氏と物部氏との戦の際、ここで戦勝を祈願し、それが叶うと観音堂を建てたという言い伝えがあります。
大坂城の三の丸に位置していたことから、豊臣家から崇敬を受け、大坂城の鎮守社となりました。その後、戦災で焼失してしまいますが、豊臣秀頼によって再建され、大阪の陣で再び焼失後は、1617年に大阪城代内藤信正と氏子によって再建され、豊臣時代に続いて徳川時代も大坂城の鎮守社となりました。
この界隈は玉造と呼ばれていますが、その由来は古代に遡り、このあたりで勾玉を造る玉作部に居住地であったからという事にあります。現在の社殿は1945年の大阪大空襲で焼失したものを1954年に再建したものです。
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博史さん 2024.08.28 赤い鳥居が見たくなり玉造稲荷神社に参拝しました。
何か気持ちがリラックスできました。 -
Yona Illichさん 2024.06.05 全国の稲荷信仰は京都伏見稲荷(8世紀初め創建)に始まるとされているが、ここはそれよりも遥か以前、垂仁天皇の時代に(紀元前12年に)創建されたとされている。
ただ、豊臣、徳川時代には豊津稲荷として信仰を集めていたためか、古表記の「稲生」ではなく一般的な「稲荷」であったり、お狐様が居たりと(メチャカッコいいが)、プレ伏見にそぐわないところもある。