大阪メトロ玉造駅の北側、森ノ宮駅からもそれほど離れていない場所にある「玉造稲荷神社」です。
こちらは垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代、紀元前12年に創建されたとされる歴史ある神社で、古代には“玉作岡”と呼ばれ、勾玉を作る玉造部(たまつくりべ)がいたそうです。
聖徳太子が物部氏との戦いにおいて戦勝祈願したという言い伝えがあったり、豊臣時代には千利休がここで茶会を開いたり、江戸時代には大阪からお伊勢さんへ向かうお伊勢参りの出発点としても栄えたそうです。
また、近代においては上方漫才の作家で横山エンタツ・花菱アチャコの名作「早慶戦」を書き上げ、その後もオール阪神・巨人、B&B、太平サブロー・シロー、宮川大助・花子、ザ・ぼんちなどを育てたとされる秋田實(あきたみのる)氏が幼少期にこちらの境内で良く遊んでいたことから、同氏の“笑魂碑”があったりと、縁や逸話が盛り沢山なすごい神社で、他にも豊臣秀頼公の銅像、難波玉造資料館、半分以上が土に埋まった鳥居など、境内のいたるところに見どころがあります。
こんなにすごいところが一般にはあまり知られていないということに逆に驚かされたりもします。
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博史さん 2024.08.28 赤い鳥居が見たくなり玉造稲荷神社に参拝しました。
何か気持ちがリラックスできました。 -
Yona Illichさん 2024.06.05 全国の稲荷信仰は京都伏見稲荷(8世紀初め創建)に始まるとされているが、ここはそれよりも遥か以前、垂仁天皇の時代に(紀元前12年に)創建されたとされている。
ただ、豊臣、徳川時代には豊津稲荷として信仰を集めていたためか、古表記の「稲生」ではなく一般的な「稲荷」であったり、お狐様が居たりと(メチャカッコいいが)、プレ伏見にそぐわないところもある。