<研究成果のポイント>
● 明治大学農学部生命科学科動物生理学研究室の中村孝博教授らの研究グループは、
20代健常女性の睡眠覚醒リズムが月経周期※1のステージにより変化することを発見しました。
排卵後の黄体期や月経期では減少することが分かりました。
● 遅寝遅起きの習慣がある人ほど睡眠覚醒リズムの頑強性は弱くなり、
社会的時差ボケ(時間)※2が大きい人ほど月経周期日数が伸びる傾向があることが示されました。
●これらの結果より、近い将来、スマートウォッチなどのデバイスを身に付けているだけで月経周期や
排卵日が把握でき、煩わしい測定を必要としない妊娠活動(妊活)ができると考えられます。
1.概要
明治大学農学部生命科学科動物生理学研究室の中村孝博教授らの研究グループが、健常女性において、月経周期のステージにより睡眠覚醒リズムが変化することを発見しました。
女性では、月経から次の月経までの間隔である月経周期は、平均28日周期で一回り(回帰)します。その月経周期中では、図1のように女性ホルモンであるエストロゲンとプロゲステロンの血中濃度の大きな変動が見られます。卵巣内で卵子のもととなる卵胞が発育する期間である卵胞期には、卵胞の発育とともにエストロゲンが多く分泌され、排卵前にそのピークを迎えます。その後、卵子が排卵されると黄体期になりプロゲステロンが多く分泌されます。この女性ホルモンの変動は、実験動物では睡眠覚醒リズムなどを駆動する概日リズム*3機構に影響することが分かっています。
実験動物として用いられるマウスなどのげっ歯類では、4‐5日周期で回帰する性周期に伴って、一日の活動リズムが性周期のステージによって変化します。特にエストロゲンの血中濃度が高くなる発情前期の夜に、活動が亢進しリズムの位相が前進することが知られています。また、プロゲステロンはエストロゲン効果を弱める働きがあります。この現象は、アクトグラムという概日リズムを観察しやすい図を作成してみるとホタテ貝の貝殻の模様に似ていることからスキャロッピング(scalloping)と呼ばれています(図2)。
これまで健常女性では、この女性ホルモンの変動に伴うスキャロッピングは観察されていませんでした。その理由の一つとして、これまで睡眠覚醒リズムを長期間で記録するには、睡眠日記を被験者に記入してもらう主観的な方法しかなかったことが挙げられます。この方法ですと、正確な睡眠時間などが得にくく、また睡眠の深さなどの情報もなかったため睡眠覚醒リズムの細かな解析ができませんでした。近年発達してきたウェアラブルデバイスを用いて長期(1年間)かつ客観的に睡眠覚醒リズムを取得・評価することが可能となりました。そこで本研究では、スマートウォッチを用いて、10人の20代女性被験者を対象に睡眠覚醒リズムに対する月経周期の影響を調査しました。
まず、今回計測した数値について相関関係を調べました。睡眠中点と呼ばれる入眠と起床との中間の時刻と睡眠覚醒リズムの頑強性を意味するQP値との間で強い負の相関関係が認められました。また、月経周期の日数と社会的時差ボケ(時間)との間で、強い正の相関が認められました。これらの結果は、遅寝遅起き習慣のある健常女性は睡眠覚醒リズムが乱れ、不規則な睡眠覚醒リズムが月経周期を延長させる傾向があることを示唆しています。
次に、月経周期に伴って変化する睡眠覚醒リズムについて解析したところ、睡眠中点とQP値は月経周期のステージによって変化することが分かりました。特に、リズムの頑強性を示すQP値は、月経期や黄体期と比較してエストロゲン濃度が高い卵胞期に大きくなりました(図3)。これらのことは、げっ歯類などで観察されるスキャロッピングは、健常女性においても観察されることを意味しています。今回の結果から、スマートウォッチを身に付けているだけで正確に月経周期や排卵日が把握でき、煩わしい測定を必要としない妊娠活動(妊活)を近い将来、手に入れることができると考えられます。
本研究成果は、日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号:21K06363、19K06360)および明治大学科学技術研究所重点研究の助成によって得られたもので、日本睡眠学会機関誌である『Sleep and Biological Rhythms』(Springer Nature社;オンライン版7月11付)に掲載されました。
2.研究の背景
睡眠覚醒リズム、循環機能のリズム、ホルモン分泌リズムなどに表出する約24時間のリズムは概日リズムと呼ばれ、女性(雌性)生殖機能と双方向に密接に関係していることが知られています。特に月経周期(性周期)の正常な回帰は概日リズム機構と密接に関わっており、また、月経周期に伴う女性ホルモンの変動は概日リズムに影響することが知られています。
睡眠を構成するレム睡眠やノンレム睡眠の量の変化などを意味する睡眠構造は、月経周期中に変化することは知られていました。しかし、一日の中での睡眠が占める割合などを意味する睡眠覚醒リズムは、月経前症候群(Premenstrual syndrome: PMS)である女性では、変化があることが報告されていましたが、月経周期が安定し月経に伴う症状や不定愁訴が少ない女性においては報告されていませんでした。また、近年ウェアラブルデバイスの技術が発達し、睡眠時間や睡眠の深さを客観的に取得できるスマートウォッチなどのデバイスが身近になってきました。本研究では、スマートウォッチを用い長期かつ客観的に睡眠覚醒リズムを評価する点に特徴があります。これにより女性におけるスキャロッピングが観察できるのではないかと考え本研究を行いました。
3.本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
女性の社会進出が促される日本の現状において、女性の健康増進、特に「妊活」に対する政策は急務であり、これまで軽視されがちであった女性特有の生理現象のメカニズムの解明は、「少子化」などの喫緊の社会的問題を解決する糸口となる研究になります。このような背景により、本研究の主旨である「月経周期により睡眠覚醒リズムが変化する」は、女性特有の睡眠障害などの概日リズムに関連した疾患の発症機構の解明やその予防策の考案に寄与し、女性の健康増進に対して新しい治療方法の確立、治療薬の開発などを促し、社会に貢献する重要な課題であると考えられます。
妊活として、自身の月経周期や排卵日を正確に把握し効率的な受精を促すことが挙げられますが、排卵日を特定するために婦人体温計を用いて毎朝基礎体温を測定し、記録する必要があります。基礎体温は測定条件などにより変動し、正確に排卵日を把握するには不十分であることが指摘されています。また、市販の排卵検査薬を用いて尿中の黄体形成ホルモン(LH)の濃度を測定する方法もありますが、購入する手間や検査する手間がかかります。本研究での成果は、日常的に使用しているスマートウォッチを身に付けるだけで排卵日を特定できるアルゴリズムを構築することにつながる結果となりました。月経周期に伴って変化する睡眠覚醒リズムをスマートウォッチなどで取得し解析することで、煩わしい測定や検査なしに排卵日を正確に自動的に教えてくれるアプリの開発につながります。また、スマートウォッチで計測可能なさまざまな生体情報(体温変化、心拍数、血中酸素飽和度など)と組み合わせるこ
とにより、より精度の高い排卵日予測が可能となると考えられます。今後大規模なデータを取得しビッグデータの解析、ディープラーニングなどを取り入れアルゴリズムを構築することにより、近い将来スマートウォッチで妊活が可能となると考えられます。
これらの結果は、今後の概日リズム(体内時計)研究の発展に貢献するとともに、妊活以外にも女性特有の疾患の発症機構の解明やその治療や対策方法の考案に寄与するものと考えられます。本研究グループでは概日リズムを基軸としたライフコースを通した心身の健康増進に貢献していきます。
4.用語説明
※1「月経周期」:月経開始から次の月経開始の前日までの期間を指す。ヒト以外のほ乳類の場合は、発情周期(性周期)ともいう。この場合、排卵から次の排卵前までの期間を指す。卵巣周期とも言い、卵巣の周期的な変化に伴って誘発される周期でもある。月経(性)周期の期間は動物種によってさまざまで、ヒトでは25-38日周期、マウスなどのげっ歯類は4‐5日周期で回帰する。げっ歯類では、発情前期、発情期、発情後期、発情休止期の4つのステージに分けられ、ヒトでは卵胞期、排卵、黄体期、月経期で分けることが多い。
※2「社会的時差ボケ」:社会的制約(仕事、学校、家事など)がある平日の睡眠と、体内時計と一致した制約のない休日の睡眠との差によって引き起こされる、“平日と休日の就寝・起床リズムのズレ”のことを指す。20代の61%が1時間以上の社会的時差ボケを示すという結果もある。
※3「概日リズム(サーカディアンリズム)」:地球上のあらゆる生物は約1日(概日)周期の体内時計機能を有し、「昼間は活動し、夜間は休む」などの基本的スケジュールに備えて生理機能が変動する。通常、概日リズムは24時間周期に調節され、時刻情報がない(実験的)環境下では“およそ1日”周期で変動する。「概日リズムの分子機構の発見」に対して、2017年ノーベル生理学・医学賞が授与された。
5.特記事項
※掲載誌:『Sleep and Biological Rhythms』(Springer Nature社)
※論文タイトル:Menstrual variations of sleep–wake rhythms in healthy women
※著者:Tomoko Namie, Tsugumi Kotaka, Kazuto Watanabe, Nana N. Takasu,
Wataru Nakamura, Takahiro J. Nakamura
※DOI: 10.1007/s41105-024-00543-y
※URL:https://link.springer.com/content/pdf/10.1007/s41105-024-00543-y.pdf
※助成:本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号:21K06363, 19K06360)
および明治大学科学技術研究所重点研究の一環として行われました。
※共同研究:本研究は、長崎大学との共同研究です。
6.参考図と説明
図1:月経周期中の基礎体温、卵巣、子宮内膜、女性ホルモンの変化
月経周期の月経期、卵胞期、排卵、黄体期における基礎体温、卵巣の状態、子宮内膜の状態、女性ホルモンの濃度の変化を模式的に示している。エストロゲンは排卵に向けて高くなり、排卵後減少する。黄体期にはプロゲステロンが増加する。
図2:雄(A)と雌(B)マウスの輪回し活動の概日リズムのアクトグラム
図中黒の線は活動を示す。縦軸は日数、横軸は時間であり、48時間分のダブルプロットで示している。明暗条件と恒常暗条件で観察している。左右を比べると、右では波を打ったような活動リズムになっている。4日に一度、性周期の発情前期の夜(矢印)に活動量が増し位相が前進するためこのように見える。これは、ホタテ貝の貝殻の模様に似ていることからスキャロッピング(Scalloping)と呼ばれている。この現象はエストロゲンとプロゲステロンの効果によるものである。
図3:健常女性の1年間の睡眠覚醒リズム(A)と月経周期のステージによるリズムの頑強性の変化(B)
A: 図中黒の線は睡眠を示す。縦軸は日、横軸は時刻を示している。黄色の実線は排卵日を示す。日々の睡眠覚醒リズムにばらつきがあることが分かる。B: 被験者10名の1年間の睡眠覚醒データから月経周期のステージごとのリズム頑強性(QP 値)を求めたバイオリンプロット図。QP値は月経期(M)や黄体期(L1とL2)と比べ、卵胞期(F1とF2、赤枠)で有意に高くなった。
図4:本研究結果の概要
健常男性(A)と健常女性(B)の28日間の睡眠覚醒リズムを模式的に示している。縦軸は日数、横軸は時刻を示している。黒の実線は睡眠を示し、黄色の実線は排卵日を示す。男性では、周期的なホルモンの変動がないため、ホルモンの影響を受けて睡眠覚醒リズムが変化することはない。一方、女性では、月経周期に伴う女性ホルモンの変動の影響を受けて、エストロゲンの高い卵胞期にリズムの頑強性が増すこと(太い実線)が本研究で示された。これはげっ歯類で見られるスキャロッピングと似ている。