[三皇熊野神社 本宮]
三光大神として日・月・星を祀る神社
創立年月日は不詳だが、再建は桓武天皇の延暦年間、征夷大将軍坂上田村麻呂が竹原三光の紙に祈誓して高清水の丘に向かって矢を放ったと言われており、賊を討った報賽として社殿を再建したという。
境内には田村麻呂将軍の杖に根がついたと言うブナの大木があり、戦前まで地上八尺位の所からこんこんと水が流れ、「霊水の大木」として眼病に効くと言われていた。
現在は枯れてしまったが、田村麻呂将軍の弓の弦を掛けたと言う松が「弦かけの松」と言われ、参道中央にあったことが知られている。
1600年に本宮の御分霊を受け、熊野神社(現在の里宮)が遷座される。
ちょうど当社は秋田藩主佐竹氏の久保田城より南西の裏鬼門の方角にあたり、また牛島は参勤交代で江戸にむかうための交通の要でもあり、佐竹氏の五本骨月扇紋が付された文久年間に制作された獅子頭が伝わっている。
かなり由緒正しい神社。
近くにある里宮とともに参拝してほしい。
おすすめ度:★☆☆☆☆
2022.06.07
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ワニ丸ワニ丸さん 2025.01.21 2025.1.6.訪問
初詣
【秋田市の史跡めぐりより】
・本宮(もとみや)=旧三皇神社
・里宮(さとみや)=旧熊野神社
江戸時代以前から「三光大神」として
「日・月・星」を祀り
祭神は三光熊野大神といわれ
神紋の三つの輪はその光を表現している
古来から災難除けの神社として崇敬され
佐竹氏奉納の五本骨月扇紋を額に印した
獅子頭を所蔵しお祓いの獅子舞が伝承されている
本宮の由来は
延暦23年(804年)頃
坂上田村麿が 竹原三皇の神に祈願し
高清水の丘に向かって矢を放ち敵を討つことができた社殿を再建したと伝えられる
境内には坂上田村麿の杖に根がついたと
いわれる「霊水の大木」やケヤキ・銀杏の
巨木が繁り元治元年(1864年)の三皇大神の
碑や安藤和風の句碑が建つ
【HPより】
ちょうど当社は秋田藩主佐竹氏の久保田城
より南西の裏鬼門の方角にあたり
また牛島は参勤交代に向かうための交通の要でありました(中略)
古くより鬼門・方位除け、災難除け、厄除開運、八方除のご利益があると言われています
縁結び、子授け安産など「むすび」の
ご利益もあり -
Katsuya Satoさん 2025.01.11 令和7年1月2日(木)11:30頃、初詣で伺いました。
多くの人が並ぶ列に続いて5分程で参拝できました。
参拝に続いて人気の御朱印を頂こうかと思いましたが参拝後の人たちの行列が続いており、御朱印は諦めて御神籤のみ引いて帰りました。大吉でした。ありがとうございました。
正面から本宮に入り、左脇の出口から抜ける一方通行となってます。
駐車場について:本宮横に小さい駐車場があるのと、毎年の事と思いますが、初詣の時は近くにある生協と薬王堂の駐車場が臨時駐車場として使用できるようです。