明治時代に神社合祀政策の一環で一度は取り潰された神社です。元は諏訪神社でした。この地域もかつては諏訪と呼ばれていたそうです。
神社は破壊されたものの、地元住民の厚い信仰心から立て直しが図られ現在に至ります。そういった癖のある歴史を持つ珍しい神社です。
ただ一度は無くなった神社ということもあり神社本庁からは認可されない単立神社の時期がありました。そこで正式認可を受けるため、書類上では野毛日枝神社から遷座するというやや強引戦法をとったそうです。そのため今でも諏訪の神と日枝の神の二柱が祀られています。
こういう苦労した経緯からでしょうか。神社内は伊勢神宮を推す幟が掲げられ、神社本庁とのパイプを他神社より強めに感じられます。
住宅地の中に無理矢理流し込んだような歪な境内や、他から譲り受けた社殿や祭神などツギハギ感の目立つ神社ですが、それらが却って諏訪の神への厚い信仰を表してますね。
ちなみに元の諏訪神社は書類上は等々力玉川神社に吸収された形となります。地元の方はそちらも見てみたら面白いかもしれません。
【年表】
1908年、神社合祀政策により廃社(等々力玉川神社へ合祀)
1929年、再建
1939年、渋谷氷川神社より社殿移築
1941年、野毛日枝神社から遷座する形で正式に認可。東玉川の鎮守となる
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ハムスター1さん 2024.06.09 雪が谷大塚駅から10分。交番の隣に鳥居がありました。住宅街にひっそりとある神社。
季節がら紫陽花がきれいに咲いていました。
休憩できる椅子があります。 -
Tomoko Tsurumotoさん 2024.04.20 知る人ぞ知るパワースポットです。
雨上がりの後に訪れた時は
とりわけ神々しくて
まるで神様が
そちらにいるようでした。