口コミ・評判について: 藤田医科大学病院 (久野輝夫)

藤田医科大学、以前の藤田保健衛生大です。
創立者の藤田啓介総長先生、理事で息子さんの藤田興先生と一緒に老人施設の建設、運営にも関わったことがあります。
医学は人術、その通りだと思います。
一流の施設、一流の医師、日本の医学の最先端をになっています。
この銅像を見るたびに、ありし日の総長先生を思い出します。
総長先生が院内を廻られた際の姿そのものです。
総長先生がお亡くなりになられた朝、興先生から親父が死んだ!って連絡がありました。
総長先生が藤田学園を創設された苦労話、学園の植樹を総長先生が自らスコップを持ってされたことなどを知る方は多くないと思います。
総長先生がお亡くなりになった後には、興先生とは、サンダーバード計画という学園と病院の改善計画をしました。
興先生の多くの功績の中で、一番の功績は、学園に名古屋市営のバスの乗り入れだと思います。
以前は名古屋市営のバスの停留所から学園までは、学園のバスが接続していただけで、とても不便でした。
患者さんはバス停で寒い中、暑い中でも学園のバスを待つ状況でした。
この改善策は藤田興先生に僕が提案、名古屋市議の知人と連絡させて頂きました。
興先生は老人施設の建設、開業をしましたが志の途中で、ご病気で亡くなられましたが、名誉学園長という肩書をいただきました。
興先生がお亡くなりになる二週間前、病室で興先生は、久野くん、こんなものですよ!ってお手を挙げられました。
このお姿は忘れられません。
僕はその後に、大学教員となりましたが、総長先生、興先生との交流の経験が生かされたと思います。
いまでも、親子のお二人は藤田学園を見守っていると思います。



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  • 2 out of 5 stars (2 / 5)
    Rittiさん 2024.09.12
    耳鼻咽喉科にかかったのですが、受付の年配のAさんが「体温は?」といきなり聞いてきて、「えっ…計ってきてないです」と言うと「見てこなかったの??」と、病院の入口(?)にあったらしいセンサー式の機械の数値を見てこなかったことを叱られ、ため息まじりに嫌々体温計を渡されました。以前かかった時は別の受付の人で「検温をお願いします。測り終わったらまた教えてくださいね」と普通に体温計を渡されたのですが…わたしの次に受付をして同じことを言われて戸惑っている患者さんにも同じようにキレているのが聞こえ、この人は自分の仕事を減らすために勝手にそれをルールにしたいんだろうな…というのが丸わかりで、とても気分が悪かったです。怖いので次から適当に申告しようと思います。
    耳鼻咽喉科のお医者様は感じの良い先生だったので残念です。
  • 1 out of 5 stars (1 / 5)
    かっぱぎ魔王さん 2024.08.12
    ある某病院に結果的には外傷性気胸だった症例で救急搬送されました。搬送の際どこへ行きたいか聞かれまして安城厚生病院か某病院か貴病院かという選択肢で7~8年前に入院実績があった某病院に搬送されることになりました。そして到着後レントゲンおよびCTの撮影をされました。結果背中の肋骨3本骨折でうち1本は複雑骨折でした。動くとゴキゴキ音がするので明らかに折れてる実感がある状態でした。処置台に横たわると激痛で起き上がることも横を向くこともできない状態でした。
    その状態で無情にも「治療に値しないのでお帰りを」という診断
    でした。入院などはさせられないとのこと。しかし、自力で動くこともかなわずタクシーも全く来ない(金曜の夜だったため)。せめて処置台で朝まで寝かせてと言うも人がいないので駄目ですとのことで受付のベンチでもいいのでと言っても駄目ですとのこと。やむを得ず個人病院の急外に電話するとCTとレントゲンのデータ持ってきて欲しいと言われたのですが血液検査の分しか出せないと非情な宣告。あとでわかったことですが、研修医の場合
    そのようなデータを出すことは紹介行為にあたるので、できないらしいです。それから根性振り絞って個人病院に未明に直接行き当直の先生に診てもらいレントゲンを再度撮影してもらいました。そしてそのままその個人病院に入院させて頂きました。
    翌朝、本ちゃんの先生が出勤されCT撮影をしたところ見事に片肺の半分が真っ白でした。先生曰く「某病院にまた救急搬送してもらうからね-」結局某病院に救急車で再搬送されまし。到着後即刻ドレーンをいれ脱気して4日後に抜管して6日後に退院しました。その2日後家で朝食後くしゃみをした瞬間なにか違和感を感じ15分後には息苦しくなり30分で嘔吐を繰り返す状態になりました。ここでまた救急搬送されることになり某病院に到着しレントゲン撮影後、すぐにドレーンを挿管することになり挿管直後にジャーと音がするぐらい勢いよく血液が一気に2Lくらい出ました。またそこから5日間脱血を続け5日目に抜管しましたがその抜管当日まで150CCくらい薄い赤い液が出てる状態でした。「そのくらい普通の人でも出るから大丈夫。そのうち体に吸収されるから問題ない」とのこと。もうこの時点で全く信用できませんでしたがね。退院から1週間後の診察日にレントゲン撮影すると片肺半分弱真っ白。この状態でも問題ないとのこと。肺に注射器刺して液体抜けないのか聞くと「肝臓や肺にさすと危ないから今はできない」もうほんまかいな?自分でできないからやらんほうがいいといってるんじゃないの?結局それから1週間後呼吸困難に陥り近所の病院に酸素をもらいに行くと、レントゲン撮影され、片肺は全部真っ白、もう片方は1/3が白い。この時点で藤田医科大学病院に搬送お願いしたのですが某病院のほうがデータそろっているから某病院へ救急搬送されました。再再再度ドレーンを挿管されました。麻酔をされていないがごとくに恐ろしく痛かった処置で入れた後も抜管まで常に痛かったです。
    挿管後、今度はどす黒いコールタールのような液が一気に2L出ました。次の日にも一気に2L出ました。3日目にやっと管のクリップが外され、5日目以降は今までが嘘のようにピタっと出水が止まりました。しかしレントゲンではまだ水が貯まっている状態で抜管後に針を刺して抜くことになったのですが、結局その処置は偉い先生が来て横から「あーだこーだ」指導しながらなんとか250ccくらい抜けたらしいです。それでも抜ききらないところがあって息が苦しい状態からは脱却できたのですが、今度は残ったコールタール状の液体のおかげで1週間以上発熱を繰り返しただひたすら抗生剤の投与されてました。
    結局、事故以来42日後にやっと完全退院できました。
    最初に藤田医科大学病院搬送を頼んでいたらこのようなことにはなっていなかったでしょうか?