ここでは、私が数年前に神社参拝のことを学び、実践した前後で、私に起きる現象(現実)が大きく変化したことを振り返り、何を実践したのかをご紹介致します。
神社参拝のことを学ぶ前から、年間50回以上の神社参拝をしており、今もその回数は大きく変化していないので、実践したことのおかげで現実が変化したのだと、私は信じています。あくまでも個人の感覚・感想なので、面白そうと感じた場合、やってみることをおススメします。
ポイント1 「神社は神さまのお住まい」を意識する!
通常、誰かの家に行く時、どんな名前の人が住んでいて、その人がどんな特徴の人なのかということを意識して行きます。
神社には神さまが住んでいると考えると、当然、どんな名前の神さまが住んでいて、どんな特徴(ご神徳)があるのか、ということは知っているべき!
このように教えられた時、自分の氏神神社のことを思い出し、ご祭神の名前もご神徳も知らない状態だったことが、汗が噴き出すほど恥ずかしかった記憶があります。しかも、神社の正式名称も記憶していなかったのですから。
これ以降、神社参拝をさせていただく際は、神社とご祭神の正式名称とご神徳を事前に調べるように心がけるようにしています。
ただ、神さまの名前は記憶しにくいものが多いので、記憶できておらず、スマホや紙を見返しています。それでも何も意識しなかった状態より格段に楽しく神社参拝ができています♡
ポイント2 「今、参拝できるのは過去の方々が繋いでくれたおかげ」を意識する!
私が生まれた病院の氏神神社(産土神社と呼ぶことあり)を参拝した際、ご神職から教えてもらったのは、ご本殿が老朽化して崩壊寸前になったことがあったことでした。
その神社存続の危機を救ってくれたのは、金婚式を迎えられた一組のご夫婦だったとのこと。それぞれが500万円ずつ寄贈されたことをきっかけに、氏子崇敬者を中心に神社再建がなされたと伺いました。
この一例だけでなく、東京には大空襲で焼失した神社、東北には津波で流された神社など、ちょっと調べるだけでも神社継続の危機と感じることを乗り切って、目の前に神社が存在してくれている。
このことを意識すると、自然と自分以外の存在への感謝の念が浮かんできて、参拝する際の気持ちが整う感覚がありおススメです!
ポイント3 「恥ずかしがらずに丁寧にお参りする」
初めて正式参拝をお願いした際、ご神職が神さまに対して畏怖の念を込め、丁寧な所作でご祈祷されているのを目の当たりにしました。
一つひとつの所作が、とても丁寧で美しい。特に礼をする際は、ゆっくり深々と心を込めてされる。
これを拝見した時、自分のお参り姿が恥ずかしくもあり、もったいないと感じたのを思い出します。
もったいないと感じたのは、せっかく時間を割いて神社参拝しているのに、周囲にいる人の目線を気にしながら、恥ずかしくないようにお参りを終えていたからです。たとえ私が丁寧にお参りしていたとしても、周囲の人の記憶には残っていないにも関わらず、周囲と同調した所作でお参りしていたんですね。もったいない!
この気づきから、鳥居をくぐる際や池や川などの橋を渡る際には、軽く礼(15度頭を下げる)をするように意識しています。
また、手水舎では、日常生活で身についた罪穢れを祓うことを意識して手水を使っています。初詣など、寒い時に手水を使わない人を目にするともったいないなぁと感じるようになってきました。
参道を歩く際には、神さまが通られる真ん中(正中)を避けるようになったのも一つの変化です。
このように書き起こすと、かなり初歩的な内容が多いので、実践されている方も多いでしょうね。
番外編(自宅でのお参り)
「お札は、神社出張所」として自宅で参拝できる(遥拝と呼ぶ)
年間50回、神社参拝していても、残りの300日程度はお参りする機会がないというのは寂しいと感じられる方にオマケの情報です。
神社で授かることができるお札は、ご神職がご祭神を御魂分けしてくださっており、お札にお参りすることは神社にお参りしていることになる。との考え方が私は好きです。
授かったお札を自宅の壁に貼付して、神社出張所として参拝させていただく。これであれば、毎日参拝可能ですね。(貼付する際は、透明な両面テープがおススメで、画鋲やピンなどで刺すのは私はやっていません)
以上、私が実践してみて良かったことをご紹介いたしました。
一つでも面白そうと感じたものがあって、楽しみながら実践いただければ嬉しいです。